愛車AE100カローラが20年を過ぎてようやく10万キロに達した。単身赴任中の10年間にはほぼ走っていないので、実質上走っていた期間は10年だ。流石に、あちこちがくたびれているが、部品さえ取り替えれは十分まだ走る。だが、そのコストを考えると、新車にするのが正解だろう。良く走ってくれたと思う。
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愛車AE100カローラが20年を過ぎてようやく10万キロに達した。単身赴任中の10年間にはほぼ走っていないので、実質上走っていた期間は10年だ。流石に、あちこちがくたびれているが、部品さえ取り替えれは十分まだ走る。だが、そのコストを考えると、新車にするのが正解だろう。良く走ってくれたと思う。
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それにしても朝から暑い。
梅雨明けの発表は無いはずだが、完全に真夏の暑さだ。梅雨前線は天気図には全く見当たらないので、事実上の梅雨明けなんでしょう。
しかし、それなら、梅雨明けが平年より1週間ほど短めではないでしょうか。
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ハイブリッド車に意味があるだろうか。
燃費の数値からはたしかに意味はあるように見えるが、ハイブリッド車は部品点数が多いので、ハイブリッド車では無い車より車両本体価格は高くなる。その高くなった価格を改善された燃費により相殺するのはいつかと考えると、実用的な意味の判断ができると思う。
たとえば、トヨタ車の最新ハイブリッド アクア(1500cc)と同クラスのカローラセダン(1500cc)を比べるとしよう。アクアはGグレード、カローラセダンもGグレードとすると、
その車両本体価格差は \1,850,000 - \1,670,000 = \180,000 である。
補助金で得する金額もあるのだが、どちらも大差はなくアクアの方が1万円ほどお得とは言えるが、誤差範囲だろう。
10.15モードでアクアは 36Km/L カローラセダンは 20Km/L である。つまり、アクアは燃料消費(燃費)がカローラセダンの0.56倍で済むことになる。
<ガソリンが140円で固定の場合>
【10.15燃費で比較する場合】
ガソリンが140円で固定だったとすると、5万キロ走った燃費は
カローラセダンでは、
50,000Km/(20Km/L) * \140 ≒ \350,000 となる。
アクアはその 0.54倍なので
\350,000 * 0.56 ≒ \189,000 となる。
その価格差は
\350,000 - \189,000 = \196,000
となり、アクアを買う意味は、5万キロほど走ることで価格差\180,000
に見合う燃費の恩恵を得られることになろう。
【実燃費で比較する場合】
ネット上から集計した実燃費では
アクア 27Km/L
カローラセダン 14.6Km/L
となり、燃費の比は 0.54倍で、10.15燃費で比較した値と同じである。
もちろん、カローラセダンとアクアは同じものでは無いので単純な比較はできないし、ガソリンの価格がずっと\140/L と言うこともあり得ないので上記の計算は単なる指標でしかない。
また、これからのガソリン価格を長期の期間に渡って予測するのは困難だが、長期間に渡っては一時的に下がることはあってもこれまでの傾向から言えば上がる傾向だと思う。その意味では、ガソリン価格が上がれば上がるほどハイブリッド車を選ぶ意味はある。つまり、ガソリン価格が上がるほど価格差に見合う燃費の恩恵を得られるまでの走行距離が短くて済むということだ。
1年1万キロを走り、5年以上乗ることが確実ならばカローラを選ばずアクアを選ぶのは十分にある選択肢と思えてきた。
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自転車を近所の某メーカー系列の個人経営自転車店で買った。国産の某メーカーの製品だ。注文してメーカーから自転車店に届くまでに3日、組みあがるのに半日と言った日程で待たされた。
価格は4万円ほどで、メーカーのカタログ価格のまま一切値引きは無い。
注文時に自分の身長、体重を申告したが、自転車屋が言うには、その体重なら「もっと値段の高い自転車を薦める」とのことであったが、そのようなカネを使うつもりは最初から無いのでそれ以上の機種を選ばなかった。また、自転車屋のオヤジが言うにはホームセンターで売っている中国製の安い自転車には安いなりの品質の悪さがあると言うのだ。ネット上に出ている例を見れば確かに説得力のある話ではあった。オヤジの言うことは確かに事実なのだろう。
今日受け取った自転車を見ると、ギヤや変速機構、べダルといった力の加わる重要なパーツには日本の自転車パーツメーカーの「シマノ」のパーツを沢山使ってある。その意味で1万円でホームセンターで買える自転車とは別モノであることは理解できる。
しかしフレームには「MADE IN CHINA」のシールが張ってあり、中国国内でフレームを作らせて、国産ブランドとして日本国内で売っていると言うことなのだろうが、国産のブランド名で売りながらフレームには「MADE IN CHINA」のシールを張るのは今時の常識なのだろうか。自分としては国産品を買ったとの思いが「騙された」との不快感がある。
また、車両受け取り時には引き渡しにおける説明・注意の説明を販売店側から受けたことについて署名まで求められた。自転車屋に言わせれば「メーカーが署名を求めている」とのことであった。そのような署名を求めるメーカーの意図の裏にあるのは、要するにPL法による訴訟沙汰を恐れ、メーカーとしての立場を保全しようとするために消費者から言質を取ろうとの意図なのだろう。
その意図はわからないでは無いが、一銭の値引きもしない上に、客側が個人情報を提供することに対するメーカー側として個人情報取り扱いに関する宣誓と言った当然のことがらを省略した上に、自分達メーカーの立場だけを保全する目的だけを達成していることにいささか不快感を感じるのだ。
自転車という商品ほど理解しづらい商品は他にはそれほどあるまい。価格は数千円から数十万円まで実に100倍近い価格の差があるのだ。電動アシスト自転車は別として、一般の自転車には機能的な違いは素人には付きづらい。素材の強度や軽さといったことは実際に走ってみて使って見なければ体感すらできないのに、試乗と言った販売方法など聞いたこともないのだ。また、自転車店で値引きを一切行わずメーカーの言い値で売るからにはその販売店の技量を信頼すると言うための値段でもあるのだが、販売店の技量に客側が価値を見出すことが困難なのだ。
そう考えると、少なくとも3万円を超えるようなホームセンターで扱うような安物でない品であれば試乗をさせ、客に納得して買ってもらえるような努力が自転車販売には必要ではないのだろうか。ましてや、10万円を超えるような高額な自転車ならば試乗はセットでなければなるまい。また、販売店側も客に値引きしないで売ることに対する納得が得られるような努力が必要だろう。その努力とは、注文してから3日待たせるのではなく1日で仕上げるといったことであったり、パンクしても半年以内ならチューブ毎ただで交換しますと言う約束だったりはしないだろうか。今の自転車販売店の売り方は数十年前のビジネスモデルであり、現代には全く機能していないと思う。いろいろな仕組みが顧客本位ではなくメーカーの意識を顧客に押し付けているとしか思えないのだ。
品物を買って楽しい気持になると言うよりも、不快感があると言うのは、自転車という商品が特殊な商品だからなのだろうか。いや、私には自転車がそれほど特殊な商品とは思えないのだ。
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今日で契約が終わったので単身赴任を終える。今回は連続7年を超えた単身赴任だったので、ずいぶん長かったのだが、一方には未だ事を成し遂げてはいない感じがあり、複雑な気持ちだ。
今回以前にも年単位の単身赴任があったので累計では単身赴任は10年は超えた計算だ。
サラリーマンは社命で動くのが宿命だが、単身赴任で得たもの、失ったものは半々だろうと思う。
今後会社からどんな命令があるかは分からないが、そろそろ他人の命令の下で働くことに苦痛を感じるので、そろそろリタイアを視野に入れたものの考え方をすべき時期だろう。
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プルトニウムが検出されたのはヨウ素などとはレベルの違う大問題だ。
プルトニウムは微量だと言うが政府は本当のことを発表しているのだろうか。これで今回の原発事故は、ことの重大さが段違いに上がった。放射線に加えて半減期が長く、強い毒性のあるプルトニウムは始末におえないものだ。猛獣を野に放つようなものだ。
あまりにも恐ろしいプルトニウム検出を国民に隠すようなことがあってはならない。データを隠すような扱いをすれば日本は今後一切信頼されないだろう。
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東電は事故を起して、その上に放射線アラームを無視する下請け作業員の被曝を防げなかった。
タービン建屋に放射線がある筈はないと言う思い込みが原因と聞く。これは、非常に危険な出来事だし、タービン建屋にすら高い放射線値がある事は事故の大きさと、今後の復旧の困難さを象徴していると思う。
タービン建屋での作業員被曝事故は東電の見通しの甘さと、事態の深刻さを制御しきれていない事実を証明する出来事だ。
「〜だろう」「(確認しないまま)〜に違いない」などと言うのは原子力事業者としてあってはならないことのはずだ。
現場が混乱の極みにあるなら、何とも実に恐ろしい。
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原発はもう日本国民に支持されない。新たな原発など作れやしまい。「想定を超えた津波」言う言い訳しかできないのだから。
日本の原発関係者は巨大システムに対する技術に自信を持っていたが、結局今回のありさまである。これまでに原発推進派が挙げて来た原発安全の根拠は事実により全て反証されたと言えるだろう。
今回の事故は地震と津波を原因とするが、それが事故に繋がった責任は東電だけにはあるまい。メーカーも政府も責任の一端を担っている。
原発でさえ設計と言うのは妥協が必要なのは理解するが、今回の福島原発の事故は「想定を超えた」だけては済まない。重複して冷却システムを持っていても複数の号機で全部冷却システムが駄目と言う今回の事故は、設計の悪さと言うよりは、考えかたそのものに間違いがあるとしか考えられない。
このままでは新たな原発事故がまた起きるのではないか。福島原発1号機は設計寿命を超えて運転していたと聞く、こんな設計寿命越え原発は少なくとも即時に停止すべきと思う。
何とも恐ろしい話だが、これが現実なのだ。
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We shall overcome, we shall overcome
We shall overcome some day
Oh deep in my heart, I do believe
That we shall overcome some day
<直訳>
私たちは乗り越える、私たちは打ち勝つ。
私たちは克服する、いつの日か必ず。
心の真底から私は信じている。
いつの日にか私たちは乗り越えると信じている。
「We shall overcome.」これはアメリカ公民権運動のテーマ・ソングのように歌われた歌と言うことだ。東北関東大震災で被災した人々を勇気づけるには同様のテーマソングが必要だと思う。
歴史的に力を持っているこのメロディーで日本人が歌えば、世界の人々へアピールできるだろうと思うのだが、この歌で被災者を元気づけることができないだろうか。
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