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2008年10月

2008年10月19日 (日)

理解不可能な中山元国交相の言動

何を考えているのか全く意味不明だ。出馬しないのを取り止め、取り止めないのを取り止め.....実に訳の分らない迷走ぶりだ。この人は、いったい政治で何を実現したいのか分からない。うがった見方をするとすれば政治家として自分が身を立てるために行動しているとしか思えない。このような人物を長年の間、国会に送り続けてきた宮崎人は大きく反省するべきだ。
 政治家と言うのは多様な視点で物事を判断する、民主主義を実現するためのただの道具でしか無いはずだ。自分が政治家として身を立てることだけが目的であるような人物は即刻政治の場から退場するべきと思う。

この人の言動は宮崎の有権者をナメているとしか思えない。

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2008年10月 8日 (水)

東国原知事は最初から衆議院選挙に出ないつもりだったのですね

衆議院議員選挙には最初から出るつもりなんて無かったのですね。出馬するような発言をしたのは要するに宮崎に注目を集めさせるためだったんでしょう。う~ん、中々の戦略家ですね。でも、政治は数で決まるものですから政党や団体で議員団にならないと結局のところ政治は動かないと思うのです。宮崎に注目集めるだけじゃカンフル剤にしかならんでしょう。

今日、政治を動かすには、非自民の政党を結集できる政策課題だけに限定して、連立政権を目指すのが現実的で、かつ国民の為になる手法だと思うので、選挙前にこれが実現できれば面白いのですが。でも、今度の衆院選でも、結局は野党は結集なんて出来ず、自民党を中心とした政権ができるんじゃないでしょうか。

しかし、宮崎は中央から離れすぎてずいぶん経済的に差別され続けてます。ほんとに、どげんか(県北では”どんげか”)せんといかんのです。政治を変えないと、人・物・金すべてを分配する地方分権を実現しないと宮崎は変われないでしょう。

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2008年10月 5日 (日)

格差社会と地デジ難民

近頃、「地デジ」なる略語が幅を利かせている。発音を聞くと「血出痔」としか思えぬ。もう少しまともな大和言葉に出来なかったのか。濁点が2つも付くような略語は不合格としか言いようが無い。また、地上波デジタルを実現するために、貧者があまりにも軽視されているようにしか思えぬ状況は実に残念だ。政府は5000円でデジタル・アナログコンバーターを実現すると言うが、未だにそのような品が発売されたと聞いた覚えはない。そのタイムリミットは近付いていると言うにも関わらず。

そもそもテレビなどと言うものは当初からその通常の必要性の意味は娯楽なのであって、わざわざ大金を使って買うものでは無かったはずだ。テレビには一定の公共性と、マスコミュニケーションの手段として、手っとり速いとの為政者側の判断があるとは言えど、従来のアナログテレビとの仕組みの違いと、値段の違いから地デジを従来のアナログテレビに変わるマスメディアとして同列にとらえるのはあまりにも性急過ぎると思う。別な言い方をすれば、デジタル受像機を新たに買わねば事実上映らない状況と言うのは、UHFによるチャンネル追加が発生したのと同じような、政策を行う側のあまりにも強い御都合主義としか庶民には映らないのだ。かつて、田舎でさえ、VHFのチャンネルが多数余っている状況であるにも関わらず、都会と一律にUHFのテレビ局が導入されたのは、業界団体と結びついた良からぬ腐敗の構造を今回の地デジにもなにか感じるのだ。

電波を有効利用するために帯域幅を有効に使うデジタルにする意味は分かる。だが田舎の人々にそれが何のメリットをもたらすのか意味が通じないだろう。田舎の人々からみれば、政府の都合で庶民がイジメられる......としか理解されない。つまり、都会が便利になるために田舎の人々はその仕組み変更の代金を有無を言わせずに支払わせられると言う理不尽さを感じるに違いない。このような理不尽さを感じた人々はやがて、確実に、いわゆる抵抗勢力になる。いくら絵がキレイになると言われても、娯楽のために数十万のカネを出すのは実にバカバカしいものだ。

現在のままではテレビに支払うカネを後回しにせざるを得ない人々についてはカネが無いばかりに、地デジが見られない人々(いわゆる地デジ難民)を生んでしまうと強く思われる。格差社会と言われて久しいが、地デジ難民と言う言葉はその象徴として今後使われ続けることになるのではないか。このことはNHKが、公共放送としての大義を失うほどの大きな意味を持ちかねない。デジタル・アナログコンバーターは5000円では高すぎる。タダで希望する人に配布するべきである。

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東国原知事の衆議院議員立候補はおかしい

中山大臣の辞任と引退については、当然と言う思いだ。
それを受けて宮崎1区へ立候補する方向で東国原知事が国政に転身するとの踏み込んだ発言をしている。中山大臣の辞任で「宮崎のイメージが地に落ちている」との発言をしているが、何を指してそう言うのか。落ちたイメージは「自民党」と言う政党と中山議員本人の政治姿勢なのだ。これは、自分の都合の良いように今回の政治状況を捻じ曲げて表現しているようにしか思えない。「九州の中でも社会資本整備や経済面で遅れている宮崎から国政、大臣などを担う人材が出ないことは宮崎にとってマイナス」などと言った発言は、人気だけがあって未だ県政改革を成し遂げていない人物が、自分が国政に打って出るべき「人材」であるものと宣伝しているかのような発言であって、実に不快だ。

県民の一人として県知事の1期目を投げ出して国政へ転身するなど冗談としか思えない。知事としてやるべき県政の改革が沢山あるはずだ。少なくとも2期以上知事を勤め、キチンとした成果を残すべきだ。国政に転身するにしても、そのような成果を得た後に周囲に推される形で転身するべきだと思う。知事選で言った「宮崎をどげんかせんといかん」は国政に打って出るための足場としての言葉では無かったはずだ。知事の権限は国会の1議員よりも大きいのだから、知事の仕事を全うして欲しい。
国会議員は選挙区のために働くものでは無く、国の為に働くもので知事とは役割が違うのだ。宮崎1区選出の国会議員が地元に利をもたらすことを選挙民が皆望んでいると考えるのは実に短絡的だ。中山議員が大臣に就任した時に、宮崎県の悲願とする高速道路網整備に関して力を発揮するとの期待があったのは理解している。だが、そんな利益誘導の政治は、「宮崎をどげんかせんといかん」に対する改革派としての言動に対する矛盾とも有権者には映る。地元に利益をもたらすのが政治家の役目だと思うのなら、今の日本の構造的な問題を解決することなど不可能なはずだ。
もしも国政に自民党候補として立候補するなどと言うならば、「改革を行う」との前向きな姿勢が全くウソだったことになりはしないか。宮崎は確かに昔から保守王国で自民が有利な部分ではあるのだが、特定の政党から立候補するのであれば県民の理解は得られず、裏切り者との評価が必ず出るだろう。

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